経営年数100年以上の企業の経営スタイルと経営哲学を研究しています。調査・研究成果を発表してゆきます。

資金繰り

第39回:資金的に厳しかった時代をいかに乗り切ったか

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筆者が創業した27年前、最初に銀行口座を開設したのは住友銀行城東支店でした。脱サラ前に勤めていた出版社で担当した作家の堺屋太一氏の親戚筋が支店長をしておられ、筆者の自宅から一番近い銀行だったことからお願いに行きました。
住友銀行とはその前より取材の関係で浅からぬご縁をいただいており、後にJR西日本の会長をされた村井勉氏には尼崎のご自宅にお話を伺いに行ったことがありました。また、宿泊ゴルフにも同伴したことがあり、その村井氏の秘書をされていた中西正夫氏(現川島織物セルコン社長)とは年賀状をやりとりする関係になり、数年に一度お会いし、今もご厚誼をいただいています。そのようなことからいの一番に住友銀行に口座開設に行きましたが、当座を開けてもらえたのはその5年後で、融資をもらえたのも、その以後まで待つことになりました。

最初に当座預金口座を開いてくれたのは大和銀行(現りそな銀行)でした。竹内さんという営業マンが飛び込みで来られてから徐々に親しくなり、数ヶ月後には当座を開いてくださり、その数ヶ月後には大金であった500万円を融資していただきました。借金が嫌いで、なんとか現金と自己資金だけで回していきたいと四苦八苦していた筆者に、入社数年の竹内氏は丁寧に銀行の活用方法を教えてくださり、最初の借金をしました。口座に銀行からお金が入った時の感動と安堵と怖れは、いまも忘れられません。
その後、長く大和銀行とお付き合いをしていましたが、例の国有化の時に預金だけを残して借金を返済し、ほぼそれまでの関係を清算しました。きめ細かく対応していただいた営業マンも支店長もいなくなり、人的な関係が切れたことからの清算でした。
企業と銀行の付き合いには言葉には表しにくいような関係があります。創業以来、ある銀行をずっとメインに付き合ってきたという会社もあれば、大阪のある製造業の創業者は、危機の時に従来の銀行すべてに融資を断られ、出身地の地方銀行に初めて相談に行ったところ、危機一髪の資金を助けてもらい、以来、上場をした今もメイン銀行として深いおつき合いをしているという。
あるエンターテインメント関係の創業者は、多数の銀行と付き合っており、それらを天秤に掛けながら、融資や預金を複雑に運用しておられます。それは銀行を手玉にとること自体を楽しんでいる趣がある。その方は、創業の頃、銀行にさんざん苦しめられたから、いまその仕返しをしているとうそぶいていました。

資金が厳しかった時は、図のように65%超の経営者が銀行の借り入れに頼っています。しかし、その銀行とどういう付き合い方をするのかは、単にお金の貸し借りだけではなく、情報の貸し借りと気持ちの貸し借り。そして常からの情報開示の蓄積が、いざというときの関係を左右するのだろうと思います。

第21回:資金繰りでは何にこだわっているか

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第1位は実際にいくらのお金が入って、いくら出ていって、いくらが残ったか、という純現金収支でした。これをプラスにしていけば、期間と時期の誤差はありますが、経常収支も必ずプラスになります。入ったお金、出たお金、残ったお金をグラフにすれば、年間でどの時期にどれぐらいのお金がいるのかが、あらかじめわかりますので、資金計画が立てやすくなります。第2位は月末にいくらの現預金が残っているか、という数字でした。そして、第3位にいくらの借入金が残っているかの借入残高でした。

純現金収支は、フリーキャッシュフローといわれるもので、営業活動による現金収支と、投資活動による現金収支の合計で表されます。売上総利益から販売管理費を引いて、営業利益がプラスになっていても、設備や土地、債権などで大きな投資をしたら、その分がマイナスになります。逆に、それらを売却して現金が入ってくれば、プラスになります。その時点で固定資産が流動資産に振り替えられます。ここで流動比率が上がるので金融機関の思し召しは良くなりますが、所有資産は減ります。

そういう条件の下で、純現金収支にもっともこだわっているというのは、長寿企業は土地などの固定資産の大きさでもっているように見えがちですが、心がけているのは、流動資産で、現金にこだわっているのがわかります。それは土地に投資をするよりも、さらに保守的と言えるでしょう。
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