4.なぜ、長い歳月にわたって生き残れたか

この問いに対しては以下のような答えが得られました。

1)繭と糸には相場があって、生糸メーカーは両方から挟まれた立場。製糸業で相場に手を出して潰れていった会社がたくさんあった。当社はコツコツと真面目にやってきた。バブルの頃にも踊らなかった。
2)成文化された社訓はないが、創業時以来の理念、創業の精神を我々のよりどころとしてきた。当社は何のためにあるのか、を問い続けてきた。企業理念を達成するために、事業等があると考えている。長い歴史の中では、さまざまなことに挑戦してきたが、その理念にあわないことをした場合はことごとく失敗している。
3)京都には300年以上にわたって扇子を製造・販売している会社があり、新陳代謝は激しくない業界だった。ただ、値段勝負をしていった会社は潰れていった。当社が転業して選んだ業界がラッキーだった。カレンダーは1年に1回の商売。変化の激しい商売ではないので、勝負のできる機会が少なく、変化しにくい業界だと思う。また、付加価値を訴求しやすい商品だったので、企画の優劣の要素が大きかったのも当社に幸いした。
4)会社にずっと流れている精神は「イノベーション、革新性、規律性」ですが、石油業界の状況も、日本の政治・経済も変化しました。それにあわせて、我々も変化しなければならなかった。よって、一つの精神で経営をするのは難しかったと思う。どのように変化して、生き残るかというと、革新、規律をもつということ。
5)生き残れた理由は2つある。ひとつは姿を変えて、環境に適応できた、ということ。関東大震災のときに、東京支社は倒壊したが、それでも日本から去ることはなかった。もうひとつは、政情や状況に厳しいところでも、行かざるを得ないビジネスだ、ということ。日中戦争が起こった頃は、日本に石油を売っていた。日米開戦になってから、日本政府の要請で日本を去った時期があったが、終戦すると、すぐに日本に再上陸をして、何ができるかを考えた。我々は戦争や地震や革命でも逃げない。That is our lifeなのだ。
6)商品が生活密着の消耗品で、必需品的なものであったのが幸いした。
7)有力な得意先に恵まれた。
8)原料が環境保全型のものを作ったのが功を奏した。今の時代にマッチして、大きな支持をいただいた。
9)歴代の経営者が、その時代に合わせた考え方ができたということ。

取材の分析をみると、最も多いのは「会社が変化した」ということでした。それは外圧で変わらざるをえなかったこともありました。外圧で変わったのは6件。それは業界そのものが存亡の危機にいたったり、市場の変化によって、このままこの業界にいても企業が伸びないことがわかったとき、企業は変化を始めました。外圧に目を背け、ぎりぎりまで変化を先延ばししてきた企業は、変化するときに大きな痛みが伴います。
一方、自ら変化していったというのは8件。これは時代の変化を察知して、自ら変化して行く先の業種業態を目指して、徐々に変化していきました。早いうちに対処を始めているので、時間があり、変化するのに痛みは少なく、社員にも教育、研修を施しながら変化していけるので、会社にとっても、社員にとってもあるべき企業進化の方法であろうと考えられます。
変化の方法は「ヒト」を変えることです。つまり代表者を代えるということになり、大きな痛みが伴います。ぎりぎりまで変化を先伸ばししてきたからです。これは最も大きな変化の方法ですが、次に、業種、業態を変える、というのがあります。本調査では約26%の会社が業種を変えてきたという結果が出ているので、長寿企業の1/4社は業種を変えています。
それほど大きな変革ではありませんが、商品を変えるのもあります。同じ業界にいながら、取扱商品を変えるということです。これならまだ変化は大きくないし、社員が持っている知識、経験も生かせる部分が多いので、社員の戸惑いも小さい。これぐらいの変化で会社が生き延びられたとしたら、代表者に先見の明があり、そういう経営者をもった会社は、ラッキーだったと言えるでしょう。
たとえば、団扇を作っていた会社がカレンダーを作るようになった。これは同じ印刷物なので、団扇を作っていた知識と経験のいくらかは応用できます。しかし、マーケットとしては全く違います。いままで競合したことがなかった会社と競合するようになります。また、団扇は値段の下落が大きく、とくに近年では団扇の骨になる竹も印刷も中国製が多くなっており、日本の印刷会社ではなかなか対応できなかったと言われます。この会社ではカレンダーの会社に衣替えをしていたからこそ、今日があると言われるのは至極納得がいきました。