経営年数100年以上の企業の経営スタイルと経営哲学を研究しています。調査・研究成果を発表してゆきます。

第79回:100年超企業10社の言説から特徴を捉える

6.よい経営の継承の仕方、後継者の選び方                          

役員と管理職の違いは歴然としています。役員に就任したということは、経営に直接関与し、影響を与える立場にあるということです。そのような内容と責任について、どこの場で教育を受けるのでしょうか。それは実際には、役員会に出席するようになって、そこで他の役員の話を聞くなかで、徐々に議論に参加して、勉強してゆきます。企業の代表者の座も、それと同じように継承されていくようです。
今回、取材をした長寿企業の全てで、「経営を引き継ぐのに特別な教育、研修はありましたか?」という問いに首を縦に振られた会社はありませんでした。それは細かな経営ノウハウを伝授するのではなく、月々の活動の中で先代経営者の考え方や会社の考え方を見ておき、あとはトップになった本人が創意工夫しながら経営を行うものだ、というように考えられているからです。経営の継承の方法として、「社長と一緒に仕事をして」という答えが、アンケートの答えにも圧倒的に多かったゆえんです。
今回取材をした世界最大の民間会社と言える米系会社の日本の代表者の引継についても、「マニュアルらしきものは無い」と言われました。共に仕事をする時間はあり、OJTで引き継ぐ。そして、その時代のトップが自らの才覚でマネジメントをしてゆくということでした。
後継の家族を一系統だけではなく、複数以上の系統に分けて、中では「本家」や「分家」と言い分けをしているようですが、実際には、その中からもっとも適当と思われる後継者が経営を継承してゆくので、そのような形で後継者を生みだし、育ててゆく方式をもっているところが多数でした。その中で互いに競争も出てくるので、いい人材が育ってくる、という同族は切磋琢磨の組織でもあるという考えでした。
後継者が跡を継いだ後に、先代経営者はどうしているかというと、元気で、社長の経営の邪魔はしないけれど、気にはかけている、ということを伝える程度の経営への関与はしていました。よって、先代経営者が長生きしている方が、安定した経営をおこなっています。新社長のバックアップになり、時には番頭達との間に入って調整することもあります。元気な間に経営を渡し、そのまま長生きをして経営を監視したり、調整役を果たしたりしながら、バックアップをする。これは不安定になりがちな経営の継承時期を安定させる重要なメソッドであると考えられます。
人類の歴史をたどっても、同じ傾向が見られます。アメリカの進化生物学者のG.C.ウイリアムズの「おばあさん仮説」です。ウイリアムズは女性が閉経する理由を、以下のように述べます。

1)出産を続けると死のリスクが高くなる
2)子孫の世話をすることで、(息子、娘達の)新たなる子孫を作る手伝いをする。それによって子孫を増やすことの方が効率的と考えるようになった

肉体的には40歳代で閉経する根拠はないそうです。にもかかわらず閉経するようになったのは、閉経後の新たな役割のために、人類が選択した道だといいます。※1
この仮説を企業の経営の継承になぞらえると、先代経営者自らが時間をかけて会社を大きくするのではなく、早めに引退して、次の世代を助けることによって、会社を育てていくという経営手法に置き換えられます。後継者も先代経営者が過度に口を出すのは困りますが、適当なアドバイスや調整をしてくれる程度の関与は、有り難いと考えているようです。
                                              
※1:G.C.ウイリアムズ『生物はなぜ進化するのか 』(1998),草思社

第78回:100年超企業10社の言説から特徴を捉える

5.よい経営には何が必要か

「よい経営をしてゆくには、なにが必要か」を考えるとき、長寿企業の経営者は、どのように答えるのか、という興味深い考察です。
ある経営者は、一貫して継承されてきているのは、「経営は利益のためでも、金儲けのためでもないということです」と言われた。同社の経営目標があって、それを達成するために経営しており、また結果として税金を払うことも、企業の役割である、という認識を役員会で共有しているとのことでした。かつてはその方針に異議を唱えて、多くの税金を払うぐらいなら使ってしまおう、と考える人もいたそうですが、税金を払った後に残ったお金こそ、会社のBSをよくしてくれるので、多くの税金を払うことは会社の体力を付けることと同義である、という考え方に同社は立っています。
また、ヒトの扱いについては、優秀な社員がいれば早いうちに仕事を任せて自立させるようにもっていくのがよい、と先代から伝授されている経営者がありました。その会社は100年の歴史で赤字を出したのは2回だけで、一度は新規事業に投資をするために赤字は織り込み済み。経営の失敗による赤字決算は100年で1回だけです、と言われました。地方都市が本社の会社ですが、100年になるので戦災にも遭っています。そういう中でのこの経営成果は素晴らしいの一語に尽きます。
「時代の波に乗る」と答えた経営者は、さらにこのように付け加えました。「いくら社長に力があっても時代の力にはかなわない。時代の流れに乗ることが大事で、それも社長の力です」 
また、言葉は変わっても、決算の内容、特にBSをよくしてゆくことを述べている言葉が多く、PLではないところが長寿企業らしく、納得がいきます。経営年数の短い企業や代表者はどうしてもPLのほうに目と関心がいく。「ほとんどの株をもっているから、株式配当は必要ない」と答えられたのは、全く虚をつかれた思いがしました。一般的には逆です。ほとんどの株をもっているから、配当金のほとんどは自分たちに入ってくるので高配当をしたい、という論理です。しかし、この長寿企業は他の株主への配慮は必要ないから、配当はしない、という方針を貫いてきました。また、「顧客と5年、10年ではなく、2代、3代とお付き合いができる関係を作る」という答えは、長寿企業ならではでした。
さらに、創業者が篤志家で、地元にいろんな面で貢献されているので、いまでも「君ところの祖父さんは偉かったね」と言われ、「現在も創業者の人徳で仕事をさせてもらっています」と58歳の社長が答えていました。陰徳を積む、というような表現も、創業20年や30年の経営者にはなかなかもてない感覚で、長寿企業の代表者ならではの考え方でした。
よい経営に必要なのは、「経営者がよい格好をしないこと」と答える経営者がありました。いま羽振りが良くても、過去の蓄積のほうが大事であり、それは一朝一夕ではできない。相手がどれだけ派手なことをしていても、今だけだと思って羨ましく思わない。どんなに逆立ちしても、過去を変えることはできないという、長寿企業としての自負と自信が明確に伝わってきました。また、「PLは現在で、BSは蓄積であり、歴史です。だから企業は歴史が大事なのです」という言葉には、長寿企業の哲学が表現されていました。
良い経営に欠かせないもう一つのポイントは、社員と経営情報の共有化を行うことです。多くの長寿企業で、株式上場会社並みの経営情報が社員に伝えられている実態を伺いました。ある会社では、経営情報はもちろんのこと、役員会議や組合との経営協議会、部長と参与が入る参与会などの会議内容も社内のイントラネットで読めるようになっているとのこと。「徹底的に情報を開示しているからこそ、厳しいときには厳しいなりの話ができる」という話に、良い経営というのは日々の経営の仕方そのものが大事なのだ、と教わりました。

第77回:100年超企業10社の言説から特徴を捉える

4.なぜ、長い歳月にわたって生き残れたか

この問いに対しては以下のような答えが得られました。

1)繭と糸には相場があって、生糸メーカーは両方から挟まれた立場。製糸業で相場に手を出して潰れていった会社がたくさんあった。当社はコツコツと真面目にやってきた。バブルの頃にも踊らなかった。
2)成文化された社訓はないが、創業時以来の理念、創業の精神を我々のよりどころとしてきた。当社は何のためにあるのか、を問い続けてきた。企業理念を達成するために、事業等があると考えている。長い歴史の中では、さまざまなことに挑戦してきたが、その理念にあわないことをした場合はことごとく失敗している。
3)京都には300年以上にわたって扇子を製造・販売している会社があり、新陳代謝は激しくない業界だった。ただ、値段勝負をしていった会社は潰れていった。当社が転業して選んだ業界がラッキーだった。カレンダーは1年に1回の商売。変化の激しい商売ではないので、勝負のできる機会が少なく、変化しにくい業界だと思う。また、付加価値を訴求しやすい商品だったので、企画の優劣の要素が大きかったのも当社に幸いした。
4)会社にずっと流れている精神は「イノベーション、革新性、規律性」ですが、石油業界の状況も、日本の政治・経済も変化しました。それにあわせて、我々も変化しなければならなかった。よって、一つの精神で経営をするのは難しかったと思う。どのように変化して、生き残るかというと、革新、規律をもつということ。
5)生き残れた理由は2つある。ひとつは姿を変えて、環境に適応できた、ということ。関東大震災のときに、東京支社は倒壊したが、それでも日本から去ることはなかった。もうひとつは、政情や状況に厳しいところでも、行かざるを得ないビジネスだ、ということ。日中戦争が起こった頃は、日本に石油を売っていた。日米開戦になってから、日本政府の要請で日本を去った時期があったが、終戦すると、すぐに日本に再上陸をして、何ができるかを考えた。我々は戦争や地震や革命でも逃げない。That is our lifeなのだ。
6)商品が生活密着の消耗品で、必需品的なものであったのが幸いした。
7)有力な得意先に恵まれた。
8)原料が環境保全型のものを作ったのが功を奏した。今の時代にマッチして、大きな支持をいただいた。
9)歴代の経営者が、その時代に合わせた考え方ができたということ。

取材の分析をみると、最も多いのは「会社が変化した」ということでした。それは外圧で変わらざるをえなかったこともありました。外圧で変わったのは6件。それは業界そのものが存亡の危機にいたったり、市場の変化によって、このままこの業界にいても企業が伸びないことがわかったとき、企業は変化を始めました。外圧に目を背け、ぎりぎりまで変化を先延ばししてきた企業は、変化するときに大きな痛みが伴います。
一方、自ら変化していったというのは8件。これは時代の変化を察知して、自ら変化して行く先の業種業態を目指して、徐々に変化していきました。早いうちに対処を始めているので、時間があり、変化するのに痛みは少なく、社員にも教育、研修を施しながら変化していけるので、会社にとっても、社員にとってもあるべき企業進化の方法であろうと考えられます。
変化の方法は「ヒト」を変えることです。つまり代表者を代えるということになり、大きな痛みが伴います。ぎりぎりまで変化を先伸ばししてきたからです。これは最も大きな変化の方法ですが、次に、業種、業態を変える、というのがあります。本調査では約26%の会社が業種を変えてきたという結果が出ているので、長寿企業の1/4社は業種を変えています。
それほど大きな変革ではありませんが、商品を変えるのもあります。同じ業界にいながら、取扱商品を変えるということです。これならまだ変化は大きくないし、社員が持っている知識、経験も生かせる部分が多いので、社員の戸惑いも小さい。これぐらいの変化で会社が生き延びられたとしたら、代表者に先見の明があり、そういう経営者をもった会社は、ラッキーだったと言えるでしょう。
たとえば、団扇を作っていた会社がカレンダーを作るようになった。これは同じ印刷物なので、団扇を作っていた知識と経験のいくらかは応用できます。しかし、マーケットとしては全く違います。いままで競合したことがなかった会社と競合するようになります。また、団扇は値段の下落が大きく、とくに近年では団扇の骨になる竹も印刷も中国製が多くなっており、日本の印刷会社ではなかなか対応できなかったと言われます。この会社ではカレンダーの会社に衣替えをしていたからこそ、今日があると言われるのは至極納得がいきました。
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